*** 天幕 ***

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

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2007.06.15 Friday

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2007.03.16 Friday

少年よ。

春から東京へ行く友達と、京都での遊びおさめ。
何したいか聞くとバッテリーが観たいそうで、映画館へ。
青春だった。さわやか〜。スハースハー
澄み渡る青空。日を浴び輝く汗。少年達の眼差し。
メントォルのかほり〜。スハースハー
ちなみに原作は読んでいない。
巧くんを演じる役者さん、身体キレイだなぁ。
少年期から青年期にかけての
あの腰の薄さって、うらやましくてたまらない。
子宮を抱えている身体には無い薄さ。
何みてたんだお前ってツッコミはなしで。

晩ご飯はもんじゃ焼き。
制作をすることについて考えるところがあり、
もんじゃつつきながらつい弱音をこぼしたら
友達がここぞとばかりに、

「野球は、お前たちのためにあるんだぜ…(キラーン)」

トムラ先生…!(野球じゃないけどね…!)



2007.03.13 Tuesday

日記。

一昨日は友達と久々にデート。
映画館でさくらんを観て晩ご飯を食べて
そのままお部屋にお邪魔してDVD鑑賞オールナイト。
ハチミツとクローバー(実写のほう)
羊のうた(これも実写のほう)
ナイスの森
の、三本立て。
さくらんを入れて四本の映像を観たわけだけど
ナイスの森に全部もってかれた。
艶もキュンも切情も片ッ端から全部もってかれた。
とってもタガはずしでした。
日もすっかりのぼり、へんなテンションのままワンダと巨像をやらせてもらう。
お馬さんで走りながらワーイワーイアトレイユ〜とかやってる間はのんきだった。
指導してもらいながら剣の光をたどってゆき、
獅子みたいなのと戦いはじめた途端…
き ょ わ い ! ! ! !
まじめに胃が痛ぇ。収縮収縮。
力みすぎてコントローラー破壊しそうだった。
かんろ、ゲームはスーパーファミコンで止まってる。
お昼頃、バレンタインのお返しを買うため
近所のショッピングセンターに連れていってもらう。
道中の公園の白木蓮が満開なのを友達が発見。
それこそ思わず息をのむほどの清澄さ。うつくしかった。
白木蓮はやわらかい卵だなあ。何が孵化したのかしらん。
そう云えば木蓮がどんなかおりなのか知らない。
顔を寄せてみたいけど、木は華奢でもしっかりと背が高くて
枝はおおらかに空いっぱいに深呼吸するみたいにのびてて
私では背伸びをしたってジャンプしたって届きゃせず
はしごか何かがなけりゃ花には近付けないのだった。
なんだかいろんな人に似ている木。
そんな風景で締めくくりの休日。
とってもバラエティに富んだ一日だったな〜と。

2007.03.10 Saturday

さくらが



通学の途中にあるお家の玄関脇の桜がすでに満開。

2月7日に書いた例の灰色の蛾が
まったく同じ場所にまた張り付いていた。
どこ旅してきたのさ〜。

2007.03.05 Monday

夢メモ

銭湯の脱衣所みたいな場所にいる。
戸か何か越しに水の溜めてある気配があったから
銭湯じゃないにしろやはり隣は浴室だと思う。
姿見の前に立って、なんだろうこの違和感?と思い服を脱いだら
みぞおちの辺りにもうひとつヘソができていた。
どういうこっちゃ? とその場で少し戸惑い
しばらく観察するが、いつまでたっても見慣れない。
まぁできちゃったものは仕方がないかと姿見から離れる。

2007.03.03 Saturday

買ったものとか。

SOLO
SOLO
TUJIKO NORIKO

庭先案内2巻
庭先案内2巻
須藤 真澄

殻都市の夢
殻都市の夢
鬼頭 莫宏


鬼頭さんと云えば、ぼくらのアニメ放映もうじきですね。
なるたるアニメ化した時はOPのほのぼのな雰囲気に
かえって切なさ遣る瀬なさをかきたてられたものでしたが、
あれはそういう罠だったのかしら。
地球へ…も4月からアニメ放映なのですか。いつの間に。びっくりだ。
笑う大天使映画化の時とまでは云わないけどびっくりだ。
あと、必殺仕事人ジャニーズで復活にもびっくりだ。

2007.03.03 Saturday

鳥は神のもとへとんでゆく。


その神は、名をアプラクサスという。

と、ジンクレエルの画とデミアンの手紙に
思いを馳せてみたりする深夜ですが。








ここ二年ほどのことメモ。


お約束だけど毎年初詣でおみくじをひく。
今年ひいたおみくじは、
去年とまるっきり同じ歌だった。
その歌の語る意味は、簡潔に云うと、
「古きを捨て、進むべき処へ進め」。
おみくじをひく時、一年の自身のとる所作に対して
何かしらちいさなヒントを与えてもらうことを
たしかに期待してはいるけど
それを過信することはない。
でも去年は何かが少しちがってた。
その歌は妙にひっかかって
気持ちの底に常に靄のように留まりつづけた。
結局は一年間を通しても
うまく飲み込めはしなかった。
今年おなじものをひいたことがわかった瞬間、
ああ、と心底思ったものだった。
鍵と鍵穴が、時間と共に
少しずつ少しずつ合致してゆく感覚。

小6の夏のある日、
時間がそれこそ音をたてて加速するのを感じた。
あまりにも突然で あまりにも鮮明で、
私もうすぐ死ぬのかもしれないと本気で思ったものだったけど
秋になっても冬になっても私は生きていたし、
加速した時間の流れにもいつの間にか順応していた。
それから5年後、今度は時間の流れが止まった。
加速は自分の外で起こったように感じるものだったけど、
停止は明かに自分の内で起こったと感知した。
さらに5年後となる去年、停止したものが
じりじりと動き出したのを知った。
最初それを認識した時はどうしようもなく怖くなって
もう一度止めなければと焦ったものだったけれど
止められるわきゃぁないのだ。
意志を持って動き出しちゃったのだから
もはや止まる時は私の生命活動も道連れなのだな。
今はもう不安じゃないけど、
生まれた時からひとつひとつ
わざわざ丁寧に時限錠が仕掛けられていたみたいで、
なんだか可笑しい。

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